不道徳な道徳教育と、心の(管理)ノート

2004年11月24日 12時38分 | カテゴリー: 活動報告・日誌

大変な時代になった。「心の東京革命」の一環として道徳教育が推進されている。道徳授業地区公開講座のお知らせをいただいた中学校へ参観に行った。「地域から愛され、自主自立の伝統と校風をはぐくんできた。」と学校案内に紹介され、学校生活のページに「道徳の時間に、地域から講師を招き、道徳の時間の授業を行って居ます。今回は、生命の大切さについて考え合う授業です。」と写真に説明が付いているほど、この学校の特色になっている。学校・家庭・地域社会が連携した心の教育だそうだ。
 地域からの講師といっても全員在籍あるいは卒業生の保護者であり、街のおじさん、おばさんではない。学習指導要領に定められた23項目の一つを選んで、その時間のテーマとする。テーマに沿って保護者に話してもらうのは全体の時間の3分の1,あとは、その話に対する自分の意見、感想をワークシートを書き、先生に当てられた生徒がそれを読む。その後、心のノートの該当ページを開き、先生がそこを読む。そのノートの指示に従って、思っていることをワークシートに書いて提出。係の生徒がお礼の言葉を述べて授業は終わった。
 私語はなく、挙手もなく、心の動きも感じられなかったが、生徒が読んだ感想には、その日のテーマに適した言葉がちりばめられていた。先生はそれが授業の成果だと評価した。ちょっと気の利く生徒ならば、どう書けば先生が喜ぶかを知っている。せっかくの地域の講師の話に興味を示すこともなく、ワークシートの設問に答える。ずいぶん失礼なことだ!不道徳な行いではないか!
 それに、提出した心のノートを読めるのは先生だけなので、それは生徒の考え(うわべだけかもしれないが)を管理するためのノートになる。
 つぎに来るのは、この徳目の実践としての行動の押しつけだ。心を管理されたうえに体もまた管理された子ども達は、自分が自分であることを認められない状況にどこまで耐えられるのか。このような道徳教育が推進されるほど、子ども達の心は萎えて、自由な発想や豊かな情感が失われていくだろう。そして、そのことの代償は私達の社会が支払うことになるだろう。